2009年7月 3日 (金)

半年間の勝負

一学期の高校の保護者会も終わりました。

5年半楽しかったな~
ワーキング母のサッパリ系が多くて、私にとって異常に居心地が良かった学校だけれど、そろそろお開きかあ。

人との出会いに刹那を感じることも増えてきましたね。

またご縁ができる可能性もある?子供同士同じ進路とか?
そうなればいいですが。

さて、気が付いたら7月に入ってしまっていたんですね。
いまだにじめじめしていて(あっちこっちの食材にカビを発見した)そんな実感がわきませんでした。

カラッと晴れた夏が待ち遠しいような、でも焦りそうだから来てほしくないような、母としては思いが拮抗しています。

一応国公立志望なので、センター試験を乗り切らないといけないのですが、それまで残りあと半年となりました。

11月の入試については受けるかどうかビミョウで、もしかしたら本番の取っ掛かりがセンター、ということになるかもしれません。

そして、私大についても、本人は特定の所以外はあーだこーだ言っていますが、私としては「どこでもいいから行ってほしい」ので、受けられるだけ受けて。。。と考えてしまいます。

しかし、私大併願が、命取りになるかもしれないのですよね。
受けすぎは疲れて、国立二次対策の足を引っぱる。受かれば慢心してやる気をなくすとか、初っ端から落ちれば立ち直れないで、はい、もう一年。。。になってしまうとかの可能性だって有ります。

しかし、学校の先生が常々「人文系は受ければどこか受かります。現役合格したければ可能です。医系国公立は本当に大変です。2、3年前だったらこんなことを言いません。国公立一本の人はかなりの確率で浪人すると思っててください」と、おっしゃるように、模試でダントツ上位という人以外、現役合格を目指すには私立併願をしないわけにはいかないのです。

いや、私立のどこもかしこも「滑り止め」に相当する所は皆無です。
学部学科を多岐に渡って受けなければ、全滅する可能性も大いに有りえます。

我が子は、もちろん上位じゃないので、私大併願パターンのことを考えると悩みますね。

浪人の二文字がちらほら頭をかすめることが増えてきました。

途轍もなく厳しいであろう我が家の受験の話題が、この先中心になるかと思います。

末の娘も中学を外部受験したいと言い張って、なんだか始めることになりました。附属だから幼稚園から入れば楽かな~といった親の思惑通りにはいきませんでした。

でも、勝手にやってくれ~という感じです。
このまま最後まで面倒を見ないで済めばいいけどな、と真剣に考えています。

中学の娘は、見た目がポワンとした感じだけれど「運動部だから勉強ができない」って言われたくないらしく、1年のときより頑張っている風です。中学受験で燃焼してタガが外れた上の子よりも余力があるんだか意地なんだか、ひたすら教科書を繰り返し復習しています。比べちゃ悪いけれど、轍を踏みたくないので言ってしまうと、同時点での学力はこの子の方がかなり上だと思います。後何年かは通塾を控えたいと考えています。

現在のうちの子供たちの様子はこういったところです。

厳しくてもなんでも、プロセスを楽しまなくちゃね。
ついでに来るべき結果も受け入れて、面白がらなくちゃね!

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2009年6月14日 (日)

箱根神社

箱根神社
慌ただしく撮ったのが分かりますよね〜。
都内からは近いような遠いような元箱根。芦ノ湖そばの箱根神社は、大変いい氣に満ちたスポットだと聞いていたので、何とか行ってきました。

神社内で、最もパワフルなものを発しているというご神木、樹齢1200年の矢立の杉です。

実際近づいてみると、心に溜ったおりが洗い流されるようなすがすがしい気分になりました。

しっとりと落ち着いたいい氣場ですね。 以前はパワースポット巡りなどしたこともなかったし、そもそもそんな非科学的なことは信じていなかったのですが、今は真逆。閉じていた敏感体質を開いたら、生きていくのが面白いですね。 そして家族の様子や私自身の気持ちや行動が変化してきて、流れが変わったという感じです。

本文をご無沙汰してしまいましたが、つつがなく、かなり平凡に生活してて、ネットから離れてしまっていました。ユルくても波乱万丈でも、これからはぼちぼち書いていきます。

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2009年4月 6日 (月)

ようやくお花見

ようやくお花見

昨日は昼間、市ヶ谷に用事があったので、一時間ばかり早めに家を出ました。

九段まで歩いて靖国の鳥居を潜ったところで、全国からの参拝者とお花見客でごったがえしてましたので、すぐ引き返しました。

同じく向かい側入り口からの千鳥が淵は、さすがに人に酔いそうで、半分まで行って引き返してきました。

市ヶ谷の外濠公園はゆったりと歩けて、日中もいい感じ。夜桜じゃないほうがそれらしいかも、と感じました。 

ここのところ毎日、桜瞑想というものをしています。

短時間ですが、無心になる瞑想というよりも、頭頂から桜の花びらが体内にたくさん入ってくる~イメージをしながらの瞑想です。

効果はですね・・・いつもより量を食べてますが、太らないし、洗顔直後の顔のカサツキがなくなってきましたね。

そうです、桜は女性らしさ、美、若返りの象徴!

桜瞑想にはいろいろありまして、友人知人には、生の桜の木を使った桜瞑想をお知らせしてるんですが、なかなかいいよ〜、という報告をもらっています。 

言うまでもありませんが、満開の桜はかなりのエネルギーを持っています。

けれど、個人的には葉桜の巻き返し的なエネルギーも凄いと感じています。

特に私くらいの年齢の女性にマッチしているエネルギーなので、密かに「見頃はこれからだ」とワクワクしているんですよ。   

その桜瞑想ですが・・・

まずは、人の少ない場所を選びます。

感じのいい桜の木を見つけたら、五分ほど幹に触れたり、お花同様枝や葉っぱをじっくり眺めて、出来れば心の中で、彼女?を褒め称えてあげて下さい。   

慣れると、彼女たちと容易に挨拶したり、対話したりできます。

そしてステップUP。

やはり人気のない時間帯の桜並木。できれば背が低く、アーチになってるのが最高。そこを、ゆっくりゆっくり、全身で桜パワーを受けるように意識して、通過してください。

桜のピンクのやさしく愛らしいエネルギー、そして若々しい葉のエネルギーが身体全体を包んでくれるような感覚で。

自覚するしないにかかわらず、必ず、何らかの素敵な変化があると思います。 

満開の時期を過ぎ、花びらが少し散ってしまっても、残っている子たちや新たにめぶいた葉っぱたちを愛でるのも、いいですよ♪

ちなみに・・・アレだけの雑踏を歩いてきましたが、実は人酔いもせず、帰宅後はすこぶるパワフルで上機嫌でした。今回はじめてリアルに桜パワーを実感しました。

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2009年4月 3日 (金)

辛うじてペットロスも長引かず

先月半ばの話しです。

犬が亡くなってしまって、しばらく放心状態でいたのですが、それもつかの間のことでした。

10年前の3月16日が彼の誕生日だったのですけれども、同じ日、つまり10歳になるはずだった今年の3月16日に赤ちゃん誕生予定のお母さん犬がいる、という情報を得ました。

埼玉県のブリーダーさんだったので、お~近い近い、生まれる前から予約しておかねば・・・とさっそく連絡をとりました。

先方は、それでは生まれたらすぐメールします、とのこと。

長女が、「まだ早すぎる、不謹慎だ」「そんなに暇で寂しいなら、毎日ペットショップに通いつめろ」などと、大反対。

どんな暴言を浴びせられようが、私はこれはすごいご縁だわ、とばかり、本能の赴くままに行動するつもりでした。彼女は妙に怒っていましたけど、ほかの家族は「そんなに欲しいんならどうぞ」みたいに、苦笑してましたね。

が、しかし。
いつまで経ってもブリーダーさんから連絡がない。

そして、一週間遅れでメールが届く。
「いつまでも生まれる気配がないので、獣医さんに診てもらいましたら、お腹には赤ちゃんがいないということが判明しました」

ええっ?!
想像妊娠?
まさか騙された?しかし何のために?

ともかくこれで、私の一人芝居、茶番劇はあっけなく幕を閉じ、新しい仔を迎えるという気持ちもすっかり萎えてしまいました。

ところで、これから先は、またまた家族に言って一笑に付された「事実」なのですが、私が、この目で見たのことなのです。まあ、くだらない~と思ったらスルーしてくださいね。

時間はさらに遡ります。私は例の如く、10年ともに暮らした彼が他界して、翌々日くらいから、どっと悲しみが襲ってきました。

ケージを見ても空っぽ。リードも無用。バンダナも巻いてやれない。ドッグフードの買い置きが物置に鎮座してるし、冷蔵庫のビーフジャーキーは捨てなきゃならない。(あんなにおねだりしてたんだから、ほいほい食べさせてやればよかったじゃない!)
アニマルコミュニケーションというコンタクト方法があるらしい。それを頼んでみようか?いや、まだ日が浅すぎ。

そんな感情のうねりと闘っていました。

日の浅いうちから泣くだけ泣かなければ、後が大変だということは分かっているので、その日も、泣き場であるお風呂で、滂沱のように涙をこぼし、あがって身体を拭いてパジャマに着替えました・・・

そして、誰も居ない居間に行くと・・・

居間のカーペットの西側の端に・・・彼が、数日前に肉体が滅んでしまった彼が、もとの肉体をまとって・・・間違いなく、そこにいました。数日前と変わらぬ姿で。いえいえ、さらに若返って数段元気そうでありました。
そのとき座っていたところ、そこが彼のお気に入りの場所でした。

きちんと居住まい正す?感じで。笑っている?ように、目をキラキラさせて。
ついでに言えば、身体全体がキラキラしていたのです。

そして、こちらとの一瞬のアイコンタクトの後、逝くべきところに帰っていったというか、どこかに行ってしまいました。

「もう、悲しまなくていいぞ~」
って言いに来たと、私は解釈しているのですが、本当はどうなのでしょう。

その一件を境に、おかげで私はぐんぐん元気になっていきました。

まあ、最期の数時間に心が戻ると、不憫でならないのですが・・・それも前の犬もそうだったし、人間だって同じことで。私だってのた打ち回って死ぬ可能性もあるわけだから、いずれ行く道です。(今わの際について沢山の本を読んできたのですが、肉体がどんなに苦しそうであっても、その時になったら既にたましいは離れていて、見た目ほど苦しんでいない、と書いてあるものが多かったです)

まあ、人間も動物も、死んでも死なない、というのは骨の髄まで学んできましたが、物質化現象は、久しぶり・・・でした。

時たま「見える聞こえる」ことがある人間ですが、娘達が言うように「私って、頭がおかしい」とは、思えないんですけれどねえ。いずれ気が向いたら、私が経験した数々のことも書いてみるかもしれません。

いつになるかわかりませんが、その際、こういった話に抵抗のある方は、どうぞお読みにならないでくださいますよう。

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2009年4月 2日 (木)

春のお片づけ

春なので、大掃除かな。ドイツとかでは大掃除は春って決まってるし、ぐりとぐらだって春に大掃除しているし・・・。

それに、かつて子どもに読み聞かせていた、こんな絵本も家の本棚から見つけてしまったし。

どんなに高価であったものでも、かつては愛用していたものでも、今は不用となったものであれば、潔く手放す。
すると、その代わりに空いたスペースには素敵なものがやってくる。

ほんとうに、そうだと思う。
古いものには古いエネルギーがこびりついているので、どんどん捨てていかないと、前に進めない。新しい友人や新しい仕事、新たなる幸運にも出会えない、らしい。


でも私、10年間以上、それができなかったのです。

そんなに長い間できなかったことを、意を決して?いやいや、何となく、、、先週から始めました。

衣類の廃棄と整理整頓には、丸まる3日を費やしました。

これが、わけもなく琴線に触れたというか、泣けて泣けてしょうがなかったな。

悲しい、というよりも心の奥底にまで降りていく作業だったのかもしれません。
たとえゴミでもガラクタでも、そこに留めておいて、たましいに近い部分をコーティングし、むき出しにならないよう、必死に抵抗していたのでしょう。

抵抗むなしく涙を拭き拭き、作業を行なって。

しかし、それが済むと、弾みがついて、引き出しという引き出しをチェック。
履かなくなった靴の廃棄。本の処分。ビデオやDVDの整理。あっちこっち散乱してる裁縫道具、壊れたミシン、大量の毛糸玉、刺しゅうセットを捨てるか、棚にしまうかの見極め。

そして、難所は、各種書類の整理。仕事関係、子ども関係、個人的な手紙、取り説、修了書、契約書、料理レシピ、趣味や資格関係のメモ。出るわ、出るわ。一旦格納庫から取り出せば、後はなだれのように襲い掛かってくる。
捨てていくうちに心がチクリと痛む場面もありましたが、それでも思い切りよく廃棄処分。

これにも3日かけて、一休み。

書庫、食器棚、文具棚、洋服だんす、クローゼット、サイドボード。透明の衣装ケース。
靴箱。ひとつひとつ、じっくり考えてから納めていかないと、再び乱雑化してしまうのが目に見えるので、今度ばかりは慎重。


そういったわけで、大掃除までたどり着けず、お片付け、なかなか終わりません。

一日一項目、例えば、今日はカトラリーケース、明日は天袋といった具合にノルマを決めるのですが、マジメにこなしていっても・・・なんと後1ヶ月も、悠々かかってしまいます。

そんなこんなで、忙しくして心に隙間を作らないようにした(本質を見ないようにした)ところ、春のお片づけにより、いわんや浄化が始まってしまいました。
手作業しながら瞑想状態になったりもしましたね。もう一人の自分との邂逅?

なにより、モノをさんざん捨てたことから、「しばらく何も買わないぞ!」と、自分に誓ってしまいました。




 

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2009年3月 7日 (土)

虹の橋へ

悲しみ。

看取ったという達成感。

いっぱい留守番させてしまったと、少し後悔。

寂しさ。

長いような短いような間一緒にいてくれたことを不思議に思う気持ち。

愛しさ。

虚脱感。

苦しいときにさり気なく寄り添ってくれたことへの深い感謝の念。

「CCH0SFsh0017_I.jpg」をダウンロード

 

2月に入って調子を崩し、夜中に咳き込む背中をさすってやった日々。

最期は、息が上がってきた。

こちらもその呼吸に合わせ、しかし私も苦しくて、見てられなくて、長い夜をおびえながらともに過ごし、そんな中でも彼は大好物の焼き芋をほしがった。

向こうの世界へ、恐怖なくきちんと渡れるように、FESのエッセンス、エンジェルズトランペットと、守護天使がしっかりと導いてくれるように、アンジェリカの2種をたらしたおイモをおいしそうにたいらげた。

それから、いきなり西の窓を見て「ワン」と言うので、、、 ああ、小さく光る存在が私の肉眼でも見て取れた。

お母さんかな?

見事に迎えに来るものだ。

人と変わりないね。

朝になるまで頑張って、家族一人一人の顔をじっと見つめ、寝坊したチビが階下に来るのを待ち、挨拶を終え、それからしばらくして、さらに激しい息使い。

歯茎から、二度目の、エンジェルズトランペットとアンジェリカを含ませる。

こちらも、きちんと見送れるようにと、2滴摂る。

「もう、頑張らなくていいよ。大丈夫だから。もう、いきなさい!」

そしてチアノーゼ。気を失う。

ポコンと、彼の肉体から魂が抜けるのがわかった。

小さな息も、一時間するととまり、眠るように旅立った。

そのとき、プチンと、頭のてっぺんの玉の緒が切れた。

見た目は、ちょっと壮絶でしたが、でもなぜか空気は清らかで、翌日には、家族全体を、大きな喜びが取り巻いていた。

ああ、虹の橋までたどり着いたんだ。

迷うことなく。

こんなに早く。

ありがとう!

素晴らしい所だっていうのが伝わってきます。

なんとも言葉にできない美しい色彩。

そこに数多くの動物達が優雅に過ごしている。

猛獣も、小動物も、お互い穏やかに共生している。

途轍もない多幸感が伝播して来る。

人間のように、厳密な階層社会ではないのだね。

そこで待っててもいいし、そこから戻ってくれてもいい。

こちらは、もう大丈夫だから。

何も心配いらない。

「7QO0SJsh0021_I.jpg」をダウンロード

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2009年2月 3日 (火)

12歳の戦士たちへ。あと少し!

どうにも心が騒ぐ。

今日も入試に出かけていった12歳の子ども達。

どんな思いで試験会場に向かったのか。

今は渾身の力で問題と取り組んでいることだろう。

まじりけのない心で一心不乱に鉛筆を動かしているのだと思う。

そんな様子を想像するだけで涙が出てくる。

彼らが最高に成長する時。
この何日かで格段に強く優しくなっていく。

中学生や高校生をみてきて感じることは、そういう時を持った子どもは、一味違う。

もっと後になって頭角を現す人も多い。

去年みたいに雪が降らず、陽の光に恵まれた今年の節分の日。

節分から、個人個人の運気も動く。

見守る親御さんもあと少し。こまぎれに休んで疲れをとって。

意味のない経験は絶対にしないはず。

必ず後でわかるから。

真っ直ぐな心でやって来た親子なら、最良の道に必ず進める。これは絶対です。

お子さんが持てる力を最大限発揮し、そこで道が決まったら、是非誉めたたえてあげて!

もうすぐ。もうすぐ終わります。あと少し。頑張れ。

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2009年1月24日 (土)

仕事って?

昨日、朝日の夕刊で読んだ小林克也さんの言葉。

「仕事を楽しもうなんて言い方は好きじゃない」「仕事はつらいもの。だから、そこに少しでも面白いことを見つけていく」「仕事は苦し楽しかな」

うん、うん。私の心境と全く一緒。

克也さんによれば、ジュリア・ロバーツだって「冗談じゃない、楽しくなんかあるわけない」なんて言ってるらしいから、いわんやシモジモをや。

ま、ハリウッドや社交界って特殊だから、スターにとっての代償もグレートなんだろうけど。

それにしても、氣の達人は「私は、毎日、遊びのように仕事をしているの。」と言われてましたっけ。

かたや、そういう人が少なからずいることも、知ってるんですよね〜。

こうして元気で働けることは幸せなのさ〜。と、まあ思い込みでもなんでも、自分にハッパかけて。  あと五分で始まる。                            
行ってきます♪

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2009年1月23日 (金)

去年のこの時期

2月の中学校入試まで、残り一週間と少しですね。
長かったような、あっという間だったような、感慨深いものが去来されていることでしょう。本当にお疲れ様です・・・。

去年のことを思い出してみます。

一月に入ってから、特に出願終了後は、不安定な感覚も薄れて「もう後には引けない、受けるしかない」と、腹をくくっていたかな。

親は、当日の持ち物や服装の確認。入学金納入期限・方法&不合格の場合の出願シミュレーションをメモしていました。

子どもの方は、直前一週間はほとんど理科社会。特に8割が社会三昧だったかも。
算数と国語はチラ見程度でした。私がもう関わることもなく、はじめての解放感。(まだ早かった?)

もちろん受験する学校によってでしょうが、うちが受けた学校は「過去問に頼ってはイケナイ」と言われていたので、一回解いたら直しをして、前年12月に早々に切り上げてました。年が明けてからは、ひたすら、日特テキスト復習と本科の先生が作ってくれたプリントに明け暮れていました。

短期間のうちに得点に結びつくのは、やっぱり社会。プリントで、3日前にやったものと試験日当日にやったものが出題されました。

でも、目指す学校によってやり方は全く違います。残り一週間で合否が決まる、と言っても言い過ぎではないかもしれませんから、プロの意見に従うのが何より。

今年は1日が日曜なのですよね。
当時、うちは初日が第一志望でしたので、サンデーショック経験者として、参考になることはアドバイスできないかもしれません。受ける学校が決まったら、受験する姿勢は例年通り。ただ、合否の後は、いつもより動きが大きく出ると思います。

うちの子ども達が言うのですが「もう十二分に頑張ってきたのだから、これ以上頑張るなんて考えなくていい」「入試当日、力を抜こう~と決めた途端、国語のとき、回りの時間が止まった。読もうとしなくても問題文が目に飛び込んできた。勝手に手が動いてあっという間に埋めていた。」「算数の時間に、図形の、解ける筈のない『きっと、捨て問』を飛ばそうかと思ったら、瞼の裏に『補助線』が浮かんできた。その問題は解けてしまった。ここで稼いだ」

頑張ると、勿論それ相応の結果が出るんだと思います。

頑張らないで力を抜くと、「おまけ」がもらえることもあるのかもしれません。

それができたのも、うちの場合併願させていただいた学校の存在が大きかったです。

残り時間。「くるしい」と思ったら、苦しい受験になってしまいます。その瞬間、瞬間に、何か楽しいことを見つけるように心がけていた一週間だったような記憶があります。親だけでも。そしてここから先は「合格でも、不合格でもどっちでもいい。ちゃんと受けにいければ、それで『親は合格』」と、心底考えていたような。

勝てば官軍、何とでもいえる。そういうのは個人的に好きではないのです、わたし。

本当に大切なのは、前から書いてて、くどいかもしれませんが、受かった落ちた、ではなく、どうやって中高生活を送るか。一人目の受験が終わったときはまったく分からなかったのですが、今ははっきりと言えます。

だから、、、、、、

結果なんて恐れる必要はありません。

バネと言ったら変ですが、あのときあの中学に不合格になったがために、こうして今がある。結果オーライ~~~そういったケースをいくつも見てきました。

公立に進み、人間関係がいい意味でこなれたおかげで、進路が明確に決まった~~~という人も何人かいます。

不合格になることがいい、とかいうことが前提なわけではなく。

当たり前のことですが、受けるからには、まず合格を目指して進みますよね。

必要以上に入試や合格発表を恐怖に思う方がいたら、それは違う!と言いたかったのです。それは先の見えないトンネルに飲み込まれてしまったような感覚から来るものだと考えられますので。多少の不安に襲われるのはしょうがないですから、そんなときすぐに「うちの子は最もいい結果を出す」と、唱えてみてください。まさに、そのとおりになるはずです。

こちらには、6年生の親御さんも何人かいらしてくださっていたかもしれません・・・。

全然、中学受験とは関係ないブログで、また、前のブログから来て下さっていた受験生の保護者の方には、子どもの学校について情報提供できずにいましたが、ご期待に添えなくってすみません。

存分に実力が発揮できること、心から応援しています。あと、少しで終わりますね。気は抜かずとも、力は抜いて、お子さんのサポートをされてくださいね。

 

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2009年1月13日 (火)

今年のメッセージ

私の尊敬する方が、2009年年始に「受け取られた」メッセージを是非シェアしたいと思います。

彼女は能力者でありますが、普段は心理学の観点から発言されることが多いです。

しかし、この時代に来て、もはや「高い次元」からの見方を交えないで物事を捉えるのは困難になってきた、と言われているし、私も同感です。


「今年は・・・厳しい年回りではあります。
天災、社会的事件・事故、病、経済状態。そういったものと、個人のあり方との関係について再考すべきときです。 痛みを共有する感覚を養う時期でもあります。

しかし、、、たった一人の意識が、上記のことを変えていく事が可能なのです。
たった一人の力が、多くの人に影響を与えていくのです。

現在の状況は、過去の思いが引き寄せたにほかなりませんから、起こったことに関してクヨクヨと悩む人は、生きにくくなっていくでしょう。
感情から自分を切り離し(ただ見つめる)、そこに、思考や自我を交えない。一切の思考を入れなければ、そこでひとつのカルマが消滅します。
困難だと思われていた、こういった作業が不可欠になっていくでしょう。

自分のあり方に関して、いちいち確認する時代は終わりました。
多くの人が、すでに自我を十分発達させてきました。
自我優先に生きるだけでは、もう前に進めません。
自我を速やかに手放し、浄化していくことが必要です。

今までは、例えば、愛と憎しみ、両面あるのが人間らしい、とされてきました。
2009年は、新しい時代の幕開けです。
自分にとって心地よくない感情をいつまでも留めておいてはいけません。
その「気分」をどれだけ早く通過させるかに、力を注いでください。
すると、2010年、2011年と運の流れもスムーズに行きます。

但し、(新しい自分になろう)と意気込むことは好ましくありません。
(気づいて浄化していく)それでいいのです。

初めの災害や不幸といわれる出来事に話を戻します。
本来は、このような出来事を自分に、人生の中で早く、連続して起こすことが浄化への本筋でありました。
しかし、こういった出来事を起こさずとも、浄化することは可能になってきたのです。
繰り返しますが、それには個人の意識が関わってきます。」


分かりづらかったら、私が謝るのも変ですが、すみません。
雲がどうだ、こうだ、とか何日か前にグーグルが混雑していたそうですが、 人間にとって不可抗力に見える天災、予測不可能な事故、その他。それらはすべて気付きのために人間の個々の、あるいは集合的な無意識によって引き起こされる(もちろん宇宙との合意により。宇宙は中立で、善も悪もなく、ただバランスをとるだけです。)浄化の手段のようです。
一人一人が「浄化」をしていけば、厄災というものは不要になってきます。よって、地震も起こらない。それほど、人間の意識、想念の力というものは影響力があるということですね。

自我については、ちょっと前に知り合いと「自我は必要よね、自我がなくなったら悟りが開けちゃうし、この世に生きてる必要ないもんね」と、話して納得してたばかりなので、意外でした。
自分を考えても、確かに自我が膨れ上がってる気がするので、耳が痛いけれど辻褄が合うかもしれません。

以上、とりあえず、書かせてもらうことで私がスッキリしました。ありがとうございます。誰かに見ていただく必要がある・・・と、なぜか気がせいていたのです。自分ひとりがどうであろうが全体には関係ない 、わけでは決してなくて、もしかしたらただ一人の姿勢が、世の中に大きな力を持つことになるかもしれない、ということを伝えたかったのですね。 今後は、私が日々受け取っているものもシェアしてもらえれば・・・と考えています。

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